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平和の鐘、一振り運動

Peace Bells-One toll campaign

第1回合同朗読祭・証言原稿

第一回合同朗読祭「ヒロシマ、ナガサキから七十年そしてフクシマ」を企画して

鶴 文乃

はじめに

 

二〇一五年は戦後七十年、広島、長崎の原爆投下という、かつて人類が経験したことがない核兵器による被害も、被爆地以外ではそろそろ単なる歴史の一ページにしか記憶されないことになりつつある。広島はともかく、長崎はこれまでも海外では「忘れられた被爆地」である。昨年、つくば市のある中学校で生徒数約七百名の前で、「長崎の原爆」について話をした。

そのアンケートに、「ぼくは、今回のお話で原爆は、広島だけでなく、やはり長崎にも落とされたということを知りました」とあった。彼らは、私の孫のような世代でその認識は当然のことと言えるし、彼らの両親もあの戦争の体験はない。毎年夏が近づくと、マスコミは「被爆地、被爆者」に焦点を合わせ報道することもあってか、被爆地の「核なき世界平和」への想いは特化され、被爆地、被爆者の専売特許になってしまったと感じるのは、長崎を半世紀以上も離れて暮らしている私だけの感情だろうか。

しかし、各地で展開されている市民活動には、「広島、長崎」を伝える朗読や朗読劇がある。この活動はそれぞれの地域で地道に活動を続けているが、それほど注目されることもなく、また横の連携もないようである。注目されることがけして目的ではないが、地域によっては年々会場に足を向けてくれる人の数は少なくなっている。関東地域の朗読グループで、私の作品を演目に上げて公演するグループもあって、これまで幾度かゲストにと、お声をかけてもらった。

この戦後七十年目にあたり、この拙作が縁で繋がったグループに声をかけ、東京で朗読の会を開催することを思い立った。これを機会にもっと多くの人にこのような活動を知ってもらい、また参加グループの連携を促がし、「平和への願い」を大きなうねりにしたいと初めての合同朗読祭を企画した。

これまでは、被爆地被爆者が自らの体験を資料として残すことに努めてきたが、これからは、その資料をどう生かすかという課題がある。それには、これまでも主張してきたように、被爆地、被爆者だけの問題にせず、日本人の一人一人が被爆国民としての自覚を持ち、国内外に「核なき世界」を訴える役目があることを、認識してもらいたいものである。

なぜなら、広島、長崎の核爆弾、核実験、原発事故と、全てを体験しているのは、日本人だけなのだから。それにしても、懲りないもので、日本は原発を外国に売ろうとし、国内では原発再稼動の方向にいきつつある。朗読などで止められるはずがないが、誰もがどんなにささやかな活動でも、自分の身の丈で実行することが大事と思う。以下、初めての合同朗読祭の報告をしておきたい。

 

公演参加グループ決定

 

二〇一五年の夏に「ヒロシマ、ナガサキから七十年そしてフクシマ、想いをつなぎ平和を考える(仮称)」を、開催しようと、先ずは関東地区の四つのグループに二〇一四年二月から三月にかけて呼びかけをする。この間、長崎市の「永遠(とわ)の会」に所属する方からの出演要望があり受諾。内容がシビアなこともあって、朗読で観客の興味を持続させられる時間を考え、各二十分ずつの五グループの公演に決定。また、私のグループの朗読に目黒ユネスコ協会編の「世界の子ども達の詩集」から二篇を朗読するにあたり、許可を得るために交渉中、目黒ユネスコ協会所属の少女合唱団「地球クラブコスモス」の存在を知る。

重い朗読の後、子ども達の爽やかな歌声でしめくくりたいと、独断で「出演依頼」をした。以下、出演グループの紹介(チラシから)

*出演グループ・順不同

 

・柏・麦わらぼうしの会(千葉県柏市)

代表 村山久美

私たちは、戦争や原爆を体験された人々の思いを風化させてはいけないと、

二十年間原爆体験者の手記を朗読してきました。平和の尊さ、命の大切さを多くの人たちに語り継ぎ、大人と子どもがともに考える機会となることを願って活動し、毎年夏に主催公演を行っています。また柏市平和都市宣言二十五周年記念事業として、二〇〇九年から柏市内の小中学校での平和学習学校訪問が始まりました。この柏市から依頼の学校公演も今年で六年目になります。今年度は六校の小学校で公演を行います。

・はらんきょうの会(茨城県筑西市)

代表 加藤由美子

「一人ひとりの人権が尊重される平和な社会」をめざして一九九七年発足。

会員は十代から六十代の男女二十二名。毎年夏、ヒロシマ、ナガサキの被爆手記を読み継ぐ朗読劇の自主公演に取り組む。県内の小中学校等での朗読劇の出前公演も行う。また、男女共同参画社会の実現のため男女共同参画セミナー等の開催や、はらんきょう版「茨城弁で語る“女性差別撤廃条約”」の出前公演を県内各地で実施。

 

・「八月を語りつぐ・日野」(東京都・日野市)

代表 内藤和美

「戦後五十年を機に日野市中央公民館の声かけのもと「八月に何があったか」を考え表現する市民が集まりました。以来、二十年間毎年八月に作品朗読、体験談の紹介、コーラス、演奏そして市民の声を冊子にするなどの活動をしております。

今回の参加者は、主に朗読分野に参加しているメンバーです。

 

・「被爆体験を語り継ぐ 永遠(とわ)の会」(長崎県長崎市)

代表 大塚久子

被爆者の高齢化に伴い、被爆者の体験や記憶を直接お聴きすることが年々難しくなっている現状のなか、被爆体験・記憶の継承が重要な課題となっています。国立原爆死没者追悼平和祈念館では、祈念館に収集された被爆体験記を柱に、その「朗読」を通して被爆体験・記憶を継承する取り組みをしています。二年間の育成講座を修了した朗読ボランティアは「被爆体験を語り継ぐ 永遠の会」として、祈念館での朗読会や学校等への派遣などによる活動をしています。

 

・「想いを未来につなぐ朗読の会・つくば」

代表 鶴文乃

二〇〇七年に「大人のしゃべり場・つくば」の有志によって、「広島、長崎など、戦争の実態を知らせ平和の大切さを考える朗読の会」を発足させる。今年は九回目の朗読とミニコンサートを十一月に開催する予定。二〇一二年からは、福島原発事故の体験者の朗読も参加。

 

公演会場の確保

 

二〇一四年三月出演グループが決定。次は公演会場の確保をすべく四月から九月まで、東京都二十三区内の公的施設の東京ボランティアセンター(飯田橋)、東京芸術劇場(池袋)渋谷勤労福祉会館、文京シビックセンター(文京区)、主婦会館(四谷)などに足を運び、貸し出し条件などを確認。また情報をPCやパンフで集めた。

その結果、公演グループには、東京都日野市のグループがあるが二十三区以外なので、その他の千葉県、茨城県、長崎県のグループと同じで、公的施設を借りるには、責任者や関係者が二十三区在住などの資格を満たさず、また申請期間が六ヶ月から三ヶ月前などの規定があり、それもたくさんのイベントの申し込みで抽選になるというので、予定が立てにくく借りることが難しいということが分った。全グループ、資金源が乏しい中頑張って活動していることを思うと、安価な会場費の公的施設をと願ったが、諦めざるを得なかった。

どうしたものか考え込んでいた時、筑西市(茨城県)の朗読グループ、「はらんきょうの会のリーダー加藤由美子さんから、水道橋のYMCAアジア青少年センターはどうかという提案があった。

 

九月初めから十一月にかけ、YMCA(水道橋)に連絡や直接出かけ来年八月のイベントの趣旨を伝え、予約の打診をする。申請の時期が来ていないので、年明けに再来するようにとのこと。

 

二〇一五年三月十一日

五グループがYMCAに集合。各グループが見学の結果、最初予定した九階の会議室、定員、百五十席から、地下のホール定員、二百五十席に変更し、八月二十九日(土)公演に決定。

**官立の公的施設の貸し出し条件が、融通が利かないのに比べ、非常に好意的で費用が少し高いが、各グループ納得するところとなった。

 

後援依頼

 

二〇一五年三月十二日~

全グループが、東京二十三区外のエリアで活動していることもあって、都心での広報が難しく、また活動の信頼性など、集客に必要な条件に乏しかった。

そこで、公演の「後援」を新聞社や市民活動団体などに依頼することにした。

 

後援の依頼書、企画趣意書、決算予定書、各グループの活動紹介などの作成。

各グループに、関係機関へ後援依頼をと、PCで送付。

鶴からは、十九箇所後援依頼を郵送する。十六箇所は、OKの返事あり。特に長崎からの応援には勇気付けられた。各グループもその地域の自治体や各新聞支社などに「後援」を依頼し、全部で二十六の「後援」をもらった。しかし、三箇所からは「後援」はNOの回答があった。その一つの日本被爆者団体協議会からの「NO」にはこちらの当然可能という思い込みもあって驚いた。

 

後援受諾

 

*長崎新聞社 *NBC長崎放送 *(公財)長崎平和推進協会 *長崎の証言

*ナガサキピースミュージアム *アジェンダNOVAながさき *平和を告げる長崎の鐘を鳴奏会 *Webサイト「被爆者の声」 *平和の鐘・一振り運動 *医療法人河野内科呼吸器科(以上長崎関係)

 

*東京新聞 *茨城新聞 *(一社)共同通信社 *毎日新聞社 *毎日新聞水戸支局 *読売新聞水戸支局 *朝日新聞社 (関東地区新聞社)

 

*日野市 *日野市教育委員会 *柏市 *筑西市 (行政機関)

 

*核戦争を防止し平和を求める茨城医療人の会 *NPO法人目黒ユネスコ協会 *認定NPO法人ウイメンズアクションネットワーク(WAN)

*(一社)国際文化研究所 *柏和会(柏市原爆被爆者の会)、 (全国または関東地区の市民活動機関など)

 

以上二十六箇所からの後援をいただいた。
この中から、*医療人法人河野内科呼吸器科の河野先生、(一社)国際文化研究所の濱田靖子様、平和の鐘・一振り運動、また、「大人のしゃべり場」のメンバー、津田展宏様個人でご寄付をいただき、各グループの負担金を減らすことができ、感謝でいっぱいだった。

 

後援不可

 

次に後援不可の機関とその理由を、これからイベントを企画する人達の参考に記しておきたい。世の中、YES、NOがあって当然。むしろ一つに統一されることが、おかしい。ただ世の中の流れが、「広島、長崎」の想いとは逆行しつつあるので、マスコミも「言うべきことが言えなくなり、やるべきことがやれなくなりつつある」という雰囲気を誰もが感じ始めている。果たしてどうなのか?

・NHK

NHK事業センターから、NHKはNPO法人になっていないところの「後援」はしないとの回答あり。

・読売新聞東京本社

八月分の「後援」、すでにいっぱいである。

*読売新聞水戸支局は、後援OK(はらんきょうの会=筑西市からの申請)

・日本経済新聞

まだ数箇所しかとれてない「後援名称」を見て、NHKとか大きな所の「後援」があるといいのですが~。今回は「後援」はできません。

・朝日新聞水戸支局(はらんきょうの会申請)

「後援」は茨城県内のイベントに限る。

*朝日新聞東京本社は、「後援」OK

・日本原水爆被害者団体協議会

日本被団協は、核都道府県にある被爆者の会ですので、各地域で行われている催し物につきましては、基本的にその都道府県の被爆者の会をご紹介し、後援等の相談をしていただいております。日本被団協が後援になることは、ごく限られた機会であることをご理解いただければと思います。中略

今回の企画は、東京、長崎、茨城、千葉であり、それぞれの被爆者の会をご紹介するということも難しいという結論になりました。(被団協からの回答のまま)

*各地にわっているからこそ、東京の被団協にとお願いしたつもりだった。こちらの勝手な思い込みだったらしい。(鶴)

 

「後援」依頼にも、「捨てる神あれば、救う神もあり」で、世の中が見えておもしろい。しかし、なりふり構わず、昔の人脈を頼みにしたところもあって、各方面にご迷惑をお掛けした。

 

チラシ、ポスター作成

 

たくさんの「後援」が決定し、六月初めからチラシとポスターの作成にかかる。三月十一日の全グループの様子から、朗読会とするより、それぞれの個性をそのままに発表する「朗読祭」にすることにした。

また、この会が継続されることを願って「第一回合同朗読祭」と称することを、独断で決め、副題の「ヒロシマ,ナガサキから七〇年、そしてフクシマ、想いをつなぎ平和を考える」は全グループの承諾を得て決めた。

 

六月十九日には、各グループの校正や訂正を経てチラシが完成した。ポスターは、費用や労力を考え、チラシを拡大することにした。早速、「後援」をいただいた所へ、PCか封書によりチラシを中間報告として送付。各グループ、関係団体などに約千部送付。同時に、プログラムの制作にかかる。

 

報道関係からの取材

 

七月十八日午前十時 YMCA(水道橋)に五グループの代表が集まり、ホールの舞台管理者との最初で最後の打ち合わせ。

この時、長崎新聞東京支社の山口恭祐記者と東京新聞つくば支局の増井のぞみ記者が取材に来てくださる。集客に自信がなく、取材はありがたい。

 

*初めての合同朗読祭とあってか、記事になって各社の紙面に掲載された。

八月 三日 常陽新聞「都内で合同朗読祭」、

二十二日 毎日新聞「被爆地で何が起こったか」、

二十三日 東京新聞「原爆の詩、語り継ぐ」

二十四日 長崎新聞「東京で平和を願う朗読祭」、

公演後、

八月三十日 茨城新聞「朗読劇、原爆語り継ぐ」

九月 一日 毎日新聞「核廃絶へ願い込め」茨城新聞の藤崎和則記者と毎日新聞の安味伸一記者は、公演後もフォロー。ありがたかった。

八月十四日 茨城放送サテライトスタジオで、「合同朗読祭」のPRを、させていただいた。この間、鶴が上京する日には、YMCA,出版社サンパウロ、市民活動グループ、私立高等学校などを訪ね「第一回合同朗読祭」のチラシ、ポスターを配布。

 

公演当日

 

八月二十九日、午前九時に五グループが、YMCAアジア青少年センターへ集合。会場の受付、物品販売、舞台装置などの準備と公演者のリハーサルを開始。舞台監督を麦わらぼうしの会(柏市)の正木容子さん、会場全体の監督を「はらんきょうの会(筑西市)の加藤由美子さん、受付、アンケートなどを「永遠の会(長崎市)」の平林智子さんなど、司会のアナウンスを、「八月を語り継ぐ・日野(東京都)」の内藤和美さん、プログラムなどの配布物や、公演後の交流会の準備を「想いを未来に~(つくば)」の全メンバー、総括を鶴文乃が担当した。

 

それぞれのグループには、その地域でこれまで活動してきた自負があり、個性的で、公演の仕方には自信がある。朗読を何らかの形に統一することは不可能で、やはりここを生かす「朗読祭」にしてよかった。

それでも、午前中のリハーサルからすると、一時は昼からの公演がほんとに上手く行くかどうか不安だった。

資金と時間に余裕がなく、リハーサルと本番を同日やるしかないので、仕方がない。YMCAのベエ・ピョンジェさんや舞台管理者の方々の協力を得、何とか準備が終った。

 

公演当日あいにく雨模様の日で、開演直前まで、定員二百五十の観客席は空きがあった。初めは、各グループのメンバーに客席の後部に座ってもらうことで、何とか席が埋まった。その内に一般の方々で埋まり、予備の椅子を入れて欲しいと要望。しかし、消防法に触れるということで不可。出演者は楽屋や廊下で待機することになった。思わぬ嬉しい誤算だった。

 

初めての合同朗読祭で、照明がスタートで機能しなかったり、各公演のスタンバイに手間取ったり、多少のトラブルはあったが、午後四時過ぎには無事幕を下ろすことが出来た。

*つくば市のグループ(毎年十一月に公演)以外の四グループは、八月の初旬に地域での大きな公演をこなして、その月末に東京での合同朗読祭への参加だった。重い話を、本格的な朗読で、あるいは朗読劇としてそれぞれ個性を出しての公演で、観客を飽きさせなかったように思う。また、「はらんきょうの会」の物井英訓さんと「想いを未来~つくば」の田篠順子さんは、一日中PCを駆使して映像を映し出し、朗読祭全体の雰囲気を盛り上げた。

そして、目黒ユネスコ協会の「地球クラブコスモス」の少女たちのさわやかな歌声は、重い内容の朗読で観客の沈んだ心をほっと和ませてくれた。

 

アンケートから

 

・貴重な体験でした。被爆地長崎に住む者として、このような朗読会に参加できたこと。たいへん良い朗読会だったと思います。ありがとうございました。
(島原市・四十代・男・長崎新聞)

 

・大切なことなのに、なかなか社会的に目立たない活動でしょうが、今回、各グループがつながって、マスコミに取り上げられ、私もここに来ることができました。最後に子どもたちの合唱があり、とても良い構成でした。重い空気が光を見た感じでした。
(日野市・女・六十代・毎日新聞)

 

・朗読での語りは、心に沁み込み、ほんとうに戦争での命を落としたたくさんの方々がそれを見上げると、我々を見ているように感じます。憲法九条を守り絶対に子孫の時代に戦争を起こさせないのが(戦争を)ちょっと知っている我々の義務だと思います。世界が平和であることを心より祈っています。
(新宿区・女・七十代・東京新聞)

 

・ステージからの魂のメッセージ、響きました。若者たちにも絶対に伝えていかないと、、、、と思いを新たにし、私なりに伝えていきたいとと思います。参加された皆さんの今後の活躍を祈っています。最後のお子さん達の歌声もたのしませてもらいました。選曲もよかったです。ありがとうございました。
(渋谷区・女・六十代・友人、知人からの情報)

 

以上、文字、句読点は訂正したが、文章はアンケートのまま。

 

他にも同様な感想があり、多くは好意的な感想だった。出席者一八二名の名簿には、
東京都は、中心の十区(目黒区、新宿区、中野区、千代田区、大田区、渋谷区、杉並区、文京区、世田谷区、豊島区)、日野市、小金井市、青梅市、昭島市に及んでいた。

茨城県から十一名、埼玉県から十六名、千葉県から十二名、神奈川県三名、栃木県、群馬県、長崎県から名一名の記述があった。

会場を埋めてくださった観客のなかには、名簿や感想を残さなかった人もいるが、データーから、この度は新聞の力が大きかったと言える。

 

この度の取材にあたって、記者の方々に次のような、お願いをした。「確かに企画をしたのは鶴ですが、この度の目的は、広島、長崎、そして福島のことを、日本全体の問題として考えてもらう機会にしたいので、「被爆地、被爆者、鶴さん、ばんざい」ではなく、関東地域で真摯に被爆地を伝えようと活動しているグループを、どうぞ取り上げてください」と。若い記者さんたちは、素直に受け取ってくださり、各グループの紹介に、それぞれの地域まで行って取材し、二〇一五年八月二十九日の第一回合同朗読祭の記事にしてくださった。掲載するにあったては、本社の温かい支援の意味があってか、驚くような大きな紙面で掲載された。

 

エピソード

 

*今回の朗読祭には、全く予期しなかったことが、イベントを盛り上げ成功させたと思う。「それは、人とのご縁」である。

例えば、長崎市の「被爆体験を語り継ぐ 永遠の会」の平林智子さんとは、私の被爆者の悲恋の詩「嘘だと言ってください」がきっかけで、原発事故を期に、長崎に移住した平林さんとつながった。関東地区だけの活動グループで、公演を企画するつもりだったが、平林さんの熱意に被爆地から参加してもらうことになった。交通費も全てを自腹で。被爆地では、一切の援助はないという。公演を依頼する方が負担することになっているそうだ。被爆地以外での平和活動は、資金に恵まれている訳ではないので、「被爆の現状を知ってもらいたい」という被爆地の期待は、これからは難しくなっていくかもしれない。この度も交通費だけでもサポートできたらと、個人的には思ったが、全グループが自腹での公演なので、特別扱いはできなかった。

 

*私たちのグループ「想いを未来につなぐ朗読の会・つくば」では、拙著の(明日が来なかった子どもたち)を要約して朗読することになった。浦上刑務所では、日本人のほか収容されていた中国人、朝鮮人が犠牲になったわけだが、死者の正確な数は今も分ってないのも事実かと思われ、願いも込め生き残りの朝鮮人を登場させ、浦上で元気に育っていた男の子との交流を書いた。これは、原爆の悲劇と人間の心の底にあるやさしさを通して、朝鮮半島の人々と日本人の相互理解ができればという期待がある。

この演目を練習することになって、それまでグループのマネージャとして手伝ってくれていたリタイア後の男性が、急に「私は、やめます。」と突然椅子を蹴って出て行った。日本が戦争中、朝鮮、中国から強制連行した事実を認めるようなストーリは、許せないということだ。

 

*「繰り返すな、 原爆を! テレシンカ ペレイラ(国際作家、芸術家協会会長)」の詩を朗読するに当たり、日本語と英語でということになり、グループに参加してくれるフイリッピン出身のEさんに、英語の朗読を依頼した。彼女は、詩を持ち帰り、フリピン出身の人たちが集まるグループに意見をもとめた。「その詩は、日本が何も過ちを犯さなかったのに、原爆が落とされた」というように受け取れるので、つまり加害者の視点がないので、朗読はできないという結果になったという報告だった。結局、英語版の朗読はとりやめた。

七十年経ったとはいえ、アジアの人々の心の奥には、「原爆は、日本の暴挙に対する当然の報いだ」という考えが強いのだ。

 

 

「平和の鐘・一振り運動」の思わぬ効果

 

「平和の鐘・一振り運動」は組織化しているわけではないので、その効果には自信がない。しかしこの度のイベントに手を差し伸べてくださったのは、日頃から「平和の鐘・一振り運動」を陰ながら支援してくださっている前述の河野謙治医師とそのよき伴侶、河野和子さん、そして(一社)国際文化研究所の代表理事長の濱田靖子さんだ。濱田さんは、関東最古の八幡宮、「大宝神社」の鐘を八月に鳴らしてくださることに尽力いただいた。このご縁でまた目黒ユネスコ協会の少女合唱団「地球クラブコスモス」の参加が決まった。指揮者の宮下晶子さんは、子どもたちはもちろんだけども、その親世代の私たちにもいい勉強になると、頑張ってくださった。

混雑する受付をスムーズの整理してくれたのは、ナガサキピースミュージアム{NPS}の関東地区ボランティアの方々だ。さだまさしさんのコンサートなどで、手馴れているだけあって、大いに助けられた。このNPSのグループも「平和の鐘、一振り運動」を関東地区で展開している。

「平和の鐘~」でつながったのは、各新聞社の若い記者さんや、以前繋がりが出来た中堅の記者さんがあり、この度はたいへんお世話になった。なんにもならないような活動でも捨てたものではない。

 

各方面からの協力

 

会場には、地域で朗読活動をしているグループの人や、会場確保、「後援」などで協力下さったジャーナリストの重鎮、岩垂弘氏、KKオフィス二十二世紀(タイガース事務所)の藤原佳道氏、「明日が来なかった子どもたち」の原画作者、能仲リエさん、など来てくださっていた。

直接お会いすることはなかったが、陰で力を貸してくださった石田謙二氏、関口達夫氏、菅沼堅吾氏、佐藤修史氏という錚々たるジャーナリストの方々、チラシやプログラムの制作を引き受けてくださったグラフィックデザイナー、林幸輔さんなど、名前を挙げればきりがないほどの多くの方々の協力によって、無謀とも言える企画を成功させることができた。〈順不同〉

幼い頃、原爆で稼ぎ手を亡くし、親戚にも敬遠される状況で育った私にとって、「他人様に期待しない」は、当たり前で生きてきたところがあるので、このような経験は、感謝してもし尽くせない。

そろそろ年齢的に、ささやかな活動ですらできなくなりつつある。被爆地からすると異論があるかと思うが、被爆地以外に生きる者としては、「被爆地、被爆者」などを売り物にすることなく、もちろん私自身はそれをベースに置いて、周囲の人びとと共感できる被爆国の一国民として、同じステージに立ち、人間関係を大事にして、共に「ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ」をほそぼそとでも伝えていきたいと思う。ともあれ、この度のイベントは、参加グループが、それぞれの地域で真面目で地道な朗読活動を続けてきたからこそ、いろいろな方面からの支援があって、公演成功につながったということを、実感した戦後七十周年のイベントだった。長崎の証言の会がこれまで残してきた数々の「証言」を書棚に眠らせてしまわないためにも、これからは、いろいろな方法で広く世間に流布する必要があると、会員の一人として思う。朗読もその一つと言える。いつの日か、被爆地長崎に全国から朗読のグループが集まり、「ヒロシマ、ナガサキそしてフクシマを伝える合同朗読祭」が開催されることを期待したい。

「証言2016.ヒロシマ、ナガサキの声」に一部掲載。

(二〇一六・五・一八)

 

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