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平和の鐘、一振り運動

Peace Bells-One toll campaign

2021年8月6日~9日 「平和の鐘、一振り運動」お便りと、報告

平和の鐘、2021

2021年は、昨年からのコロナ禍で社会的な活動がストップしています。特に東京周辺では感染数が増加し、オリンピックも無観客で開催されました。
8月6日、9日の原爆投下祈念日も控えめな慰霊祭となりました。
「平和の鐘・一振り運動」も今年は実行してくださるところは少なかっただろうと思いますが、その中でも通常通り鐘を鳴らしてくださったところがありました。下記にその報告記します。

1.

池上本門寺(東京都)

お天気の心配がありましたが、本日無事に平和の鐘を例年のように打ち鳴らすことができました。
今年は新日本婦人の会 大田支部の方が数名ご一緒いただきました。
コロナという大禍のなかではございましたが、皆様と一緒に犠牲者を悼み、平和に感謝するこの時間は大変貴重なものだと改めて感じました。

(畑 信行様)

*悪天候にもかかわらず、畑様はじめご参加の皆様、「平和」のために鐘を鳴らしてくださりありがとうございました。

2.

崎津教会(熊本県 天草)

悪天候で激しい雨と風で大荒れでしたが、500段の階段を教会の仲間と駆け上がり、世の中が平和でありますようにと、鐘を鳴らしました。
嵐の中、祈りとともに鐘の音がどこまでも響いていきました。

(出埼修平様)

3.

南宮崎カトリック教会(宮崎県)

毎年8月6日、9日は、広島、長崎の原爆犠牲者の追悼と、恒久平和を願い、また長崎を最後の核兵器投下の地とすることを願って2009年から一振りの鐘をならすことを、教会の年中行事にしてきました。
今年は、コロナ禍で集まることができず、やむをえず今年は中止いたしました。各個人で「平和」を願って祈りました。来年はぜひ園児とともに平和の鐘を高らかに鳴らすことができることを願っています。

(河野和子-事務局)

4.

護国寺(東京都)

毎年その日、東京文京区にある護国寺に行きます。
11時2分に合わせて、鐘をつき、黙祷します。

長崎出身のTさんが各地のお寺や教会などにお願いして、鐘を鳴らす「一振り運動」に私も賛同して参加してまいりました。
今日も台風の中でしたが、護国寺に行ってみました。しかしコロナと台風のせいか、どなたもいらっしゃいませんでした。
鐘をつく事はできませんでしたが、核兵器に頼らない平和への願いと、コロナの早い収束を11時2分に合わせて、一人で黙祷してまいりました。

護国寺様には、私事ながら私達夫婦の母達の健康を祈ってまいりました。
会社に戻ったら、テレビの被爆者体験をしみじみと聞いていました。こういう体験が若い世代にも伝わって行く事を願っています。

(大山圭子様)

*大山様は、毎年欠かさず8月9日に文京区の護国寺に「平和の鐘」を鳴らしに出かけていらっしゃいます。
長崎のピースミュージアムのボランティア活動も熱心に続けておられます。このように一人でも動いてくださるという、「平和」への想いが強い方に、広島、長崎の願いが受け継がれていくのだろうと感謝でいっぱいです。

(鶴)

5.

大宝神社

今年は、9日が休日でしたので、6日に「平和の鐘」を、保育園児の年中、年長児、学童保育クラブの子どもたち約100名と実行しました。

(山内清視様)

*大宝神社には立派な梵鐘があり、その付属保育園と学童保育の子どもさんたちが毎年「平和の鐘」を鳴らし、いつまでも平和で幸せな日々が続くよう祈ってくださっています。
コロナ禍で、行事が中止されていく中にあっても、こうして続ける理由を、山内様は、幼児にとっての1年は、やり直しのきかない大事な時間ですから、来年やろうというのではダメなのですとおっしゃいます。
「三つ子の魂、百まで」ここで育てられた子どもさんたちが将来平和な世の中になるよう貢献してくださることは、間違いないと思います。

(鶴)

6.

浄土宗慈眼山観音寺(京都府)

叔母の3回忌に観音寺さまに行き、「平和の鐘」の趣旨を説明しましたところ、賛同していただき多忙にもかかわらず、実行していただきました。

7.

本励寺

毎年、「長崎を最後の原爆投下地にして、世界の平和を」とお寺の鐘を鳴らしてくださっています。

(以上、荒牧典子様)

8.

自宅で

当日は、自宅でテレビの中継を11時まで見てから、家の前に出て、ようやく晴れてきた空を流れゆく雲に向かって、長崎の空を思いながら、カメラのシャッターを切りました。

オリンピック閉会式の「祈りの時間」が、長崎・広島を特別に示してはくれなかったけれど、永遠の平和を祈ります。

今年も11:02の写真を、ピースミュージアムへ送ります。

(「平和の鐘」にかえて、松田英子さん」

 

以上、敬称略、順位不同、SMS、メールでいただいた報告。ありがとうございました。

・私事で恐縮ですが、「救護所に立つ少年」76年前、原爆で焼けただれてお化けのようになっていた長兄(当時16歳)をリヤカーに乗せ、救護所に呆然と立つ当時12歳の少年(私の次兄)が今年1月亡くなりました。それから一家のチビ父さんとして支え続けました。

昨年の6月頃、NHK長崎のディレクターさんから、「焼き場の少年」についての質問がありました。
「この少年は、どこかで生きているかと思う」と答えました。
それは、次兄が退職を機会に、原爆で犠牲になった父と長兄、原爆後必死で生活を支えた母が眠る墓も根こそぎ長崎市から引っ越し、一切原爆については語らなかったことに想いを重ねたからでした。それから、次兄に「焼き場の少年」について電話で尋ねました。少年の表情について、次兄は、「あの時あすこ(原爆投下地)に立っていた子どもは、みんな同じ表情で立っとたとさ」と答えたのでした。次兄もそうでしたが、10歳前後の子どもたちが、まったく先が見えない中悲しみの中、これからの責任も感じつつ呆然と立ち尽くす姿が、そこここにあったのだと、初めて気づかされた想いでした。
当時4歳だった私には、悲惨な記憶はなく次兄に何とか語り継いでほしいと、働きかけたばかりでした。私が亡母の話から拙い本を出したり、次兄の次男がアニメの分野ではすっかり有名な作画監督にとして活躍していることも知らないまま逝ってしまいました。
8月初盆でしたが、これほど心の支えになってくれていたとは気付きませんでしたが、心が空虚になっておりました。

皆様の「平和の鐘」のメールに、元気をいただきました。心から感謝いたします。ありがとうございました!


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